《ジャズフル・プレゼンツ》

浅葉裕文 スペシャル・インタビュー

 

浅葉裕文(ジャズギタリスト)

 

 1986年7月28日生まれ。埼玉県川越市出身。

 2015年3月に名ギタリスト岡安芳明プロデュースで、ホワッツニューレコードよりデビュー・アルバム『イージー・ライク』をリリース。

 バーニー・ケッセル、チャーリー・クリスチャンをリスペクトしご機嫌にスウィングするギターを弾く。

 NHK横浜出演、「ジャズ・ジャパン」、「ジャズ・ライフ」、アメリカのJust Jazz Guitar Magazineで特集され、オーストラリアのJGSWAの表紙を飾るなど、いまもっとも勢いのある若手ジャズギタリスト。

 http://hiroasaba.com/


――まず、今月の新潟ジャズストリートに出演するということで、楽しみにしています。新潟に来るのは初めてですか?

 

 小学校のときに家族旅行で佐渡に行きました。あと大学時代にヒッチハイクして来たこともあります。

 

――ヒッチハイク! そのときは新潟市まで来たんですか?

 

 よく覚えていないのですが、どこか海沿いのキャンプ場に泊まりました。

 

――では、演奏でいらっしゃるのは初めてということですね。新潟ジャズストリートに出演することになったきっかけについて教えてください。

 

 自分から売り込んだんです。「スワン」のマスターにCDを送って、出演したいと。そしたらマスターから後日メールが来て、出演させてくださることになったんです。

 

――スワンのマスター、和田さんですね。では最初はジャズストではなく、スワンへの出演で話が進んでいたんですか?

 

 いえ、ジャズストに参加したいと思って、ホームページを見たら事務局がスワンだったので、そこに送りました。

 

――そうでしたか。 実は新潟ジャズストリートは基本的には地元のミュージシャンが出演するイベントで、東京から来る人は少ないんです。 スケジュールを見ていたら浅葉さんのお名前があったので、これはただで帰すわけにはいかないぞ、と(笑)それで7月16日(土)の夜に一緒に演奏してもらうことになったわけです。新潟のみなさんは浅葉さんのことをほとんど知らないと思うので、是非アピールして帰っていただきたいと思います。

 

 ありがたいです。ジャズストに出たいと思ったのも、「自分がやってる音楽、好きな音楽を広めたい」という想いからなので。

 

――ギターを始めたきっかけについて聞かせてください。最初はどんな音楽をやっていたんですか?

 

 中学2年か3年の時に同級生がギターをやっていたんです。その頃にたまたま別の友達が「ギターいらないから」って言ってたので、そのギターを買って、いろいろ教わってました。

 最初はHi-STANDARDとか、その頃に流行っていたメロコアをやってましたね。公民館の会議室にアンプを持っていって、スタジオ代わりに使ってやってました。

 

――そこからジャズギター、しかもかなり渋めのスタイルにのめりこむことになったのは、何がきっかけだったんですか?

 

 高校の先輩がレコードを集めてDJをしてて、その影響で音楽にはまっていきました。高校時代には友達とスカバンドをやったり、「ストレイキャッツ」や「ポーグス」のコピーバンドとか、いろんなのやってました。

 それと同時に先輩に習って、CDやレコードを買い漁って、いろんな音楽を聞いて「なんちゃってDJ」もしていたんです。もちろんお金は全然持ってないので、図書館とかで昔の名盤とかを借りていたんです。そうしているうちに、なんかだんだん趣味が古くなっていって…(笑)

 あと周りの音楽に詳しい方たちにいろんな音楽教えてもらっていて、イベントとか遊びにいってる中で、たまたまジャズバンドを見て衝撃を受けました。それまでは譜面ありきの音楽しか知らなかったんですが、その人たちはソロを自由に回したり、譜面なんてないし、すごく楽しそうだし。「すげー!」てなったんですけど、どうやって弾くのか分からない。それから大学のジャズ研に入ったものの、なんか趣味が僕と違って…。

 でもジャズ研の先輩がいろんなジャズギターのアルバム貸してくれて、その中にバーニー・ケッセルの『ポール・ウィナーズ』があったんです。それで「めちゃくちゃ好きー!」ってなって。そこが一応バーニー・ケッセルとの出会いですね。

 

――ということは、バーニー・ケッセルとの出会いが、ほぼイコール、ジャズギターとの出会いだったんですね。

 

 そうですね。

 

――バーニー・ケッセルの魅力はどういうところですか?

 

 やっぱ最高に楽しいし、熱い。それに一人でなんでもできちゃうというか、シングルトーンでソロ弾いてコードソロになるとこなんかもう最高。

 あとバーニーの歌い方は、僕にすんなり自然と入ってきたんです。キャッチーというか。

 

――すごくわかります。今日はあらかじめ、バーニー・ケッセルのレコードの中から5枚、浅葉さんの「フェイバリット・アルバム」を選んでいただくようにお願いしています。 私も5枚選んできましたので、かぶっているかどうかも興味深いですね。まずは浅葉さんから1枚ずつ紹介してください。

 

 まずは、やっぱり『ポール・ウィナーズ』ですかね。

 5枚ありまして全部好きですが、特に1枚目は大好きですね。今日も聞いてきました。

 

――大定番ですね。これはかぶる可能性が高い(笑)

      

 3人のリラックスしてるようで、ものすごくスピーディーで、最高に歌ってて。

 一曲一曲がジャズの中では短めに終わっているっていうのもバーニーケッセルの特徴の一つであると思いますけど、そういうのも聞きやすくていいですね。特に<サテン・ドール>なんていつ聴いても感動します。

 

――バーニー・ケッセル、レイ・ブラウン、シェリー・マンのバランスが絶妙ですよね。

 

 

 2枚目は、『トゥ・スイング・オア・ノット・トゥ・スイング』です。これもノリノリで最高ですよね。

 語彙が少なくて申し訳ないのですが、なんといっても楽しいです。バーニー・ケッセルのアレンジも素晴らしいですし、ハリー・エディソンのトランペットも最高。バラードもすごくきれいで切なくて。

 

――僕はこのアルバムあまり聴いていなかったのですが、ギターの若林萌ちゃんがTwitterでこれがいいと言ってたので、最近マジメに聴き直してます(笑)とにかく楽しいアルバムですね。それから僕はバーニーの選曲が好きなんです。このアルバムも選曲のセンスがいいですね。

 

 そうですね。このアルバムはカウント・ベイシーの持ち曲をたくさんやってるんですが、<トゥウェンティース・ストリート・ラグ>なんて、これをやるギタリストなんて普通いないですよね。アレンジも最高だし。

 

 

――では3枚目をお願いします。

 

 『オン・ファイアー』です。

 これはライブ盤なのですがまさに「ファイアー」って感じで熱い! もうバーニーの独壇場!! すごいスピード感。ブルースなんてもうフレーズの宝庫ですよね。最高。

 

――これは素晴らしいですね。僕は上智大学に通っていた頃に、四ツ谷にある「いーぐる」というジャズ喫茶でレコード係をやっていたんですが、このレコードは擦り切れるくらいよくかけました(CDですが。)猛烈な勢いで演奏しているのに、フレーズの一つ一つが完璧に歌っているんですよね。特に<リカルド・ボサ・ノヴァ>は何度聴いてもワクワクします。

 

 最高に歌ってますね。本当に。すごい。あんな風に弾きたい。あんなライブやりたいなって思いますね。

 

――あんな演奏を目の前で聴いたら腰が抜けちゃうでしょうね。

 

 

――では、最後の1枚をお願いします。

 

 『イージー・ライク』です。僕のファーストアルバムも偶然(!?)同じ名前ですが…。これまたすべてにおいて素晴らしいですよね。

 

――浅葉さんのCDと同じタイトルなんですか。これはすごい偶然ですね。

 

 本当に不思議なことってあるんだなーと思いましたね(笑)

 1曲目の<イージー・ライク>なんて、こんなギター弾くジャズギタリストいないですよね。ほんとキャッチーで、素朴というか、ただただ楽しいというか。弾くとすごく難しいんですけどね。

 

――私は昔、宮之上貴昭さんにジャズギターを習っていて、宮之上さんからこのレコードを勧められて聴きました。宮さんは実はバーニー・ケッセルをすごくよく聴いているんです。

 

 宮之上さんは本当にバーニー・ケッセルに詳しいし、すごくコピーもしてらっしゃいますよね。

 

――ジャズを始めた頃には<アイ・レット・ア・ソング…>がとっつきやすくて、ギターでコピーしました。

 

 いいですね!ぼくもしょっちゅうやってます。

 あと、このアルバムは2つの時代で録られていて、よく聞くと音質がちょっと違うんですね。おそらくP-90のピックアップで録ったのと、チャーリー・クリスチャン・ピックアップに替えてから録ったのがあるのではと思ってるんですが。

 

――それは気づかなかったなあ。今度注意して聴いてみます。

 

 音の違いについて知ってる人は世界でも数少ないかと思います。

 


――では私が選んだ5枚を発表しますね。結論から言うと、1枚もかぶりませんでした。

 

 おっ!?

 

――1枚目は『カルメン』です。これはビゼーの「カルメン」のジャズ・アレンジで、色物っぽくみられるレコードですが。

 

 『カルメン』はバーニー本人もすごく気に入っていると、バーニーの奥さまから話を聞きました。もちろん最高ですね。

 

――私にとってのバーニーの魅力は、いい意味での「軽さ」なんです。軽薄な軽さじゃなくて軽妙な軽さ。ギターだけじゃなくて、全体のサウンドとか、アレンジとか。それがこのアルバムに詰まってる感じがしますね。

 

 そうですね。西海岸だからなんですかね。ダークな感じはないですよね。

 

――実は浅葉さんのCDからも、同じような雰囲気を感じたんです。だからアレンジには相当こだわったんじゃないかと思ったんですが。

 

 そうですね。そこは本当に色々考えました。師匠の岡安芳明さんに本当にたくさんアドバイスをしていただいて。

 

――ところで、バーニーの奥さんってまだご存命なんですか?

 

 83歳でご存命です。サンディエゴに住んでいて、1月に会ってきました。

 

――素晴らしい行動力!

 

 行動力は本当ありますね(笑)

 一緒に4、5時間もしゃべっていただいて、本当にいいときでした。

 

 

――2枚目は、『ポール・ウィナーズ・スリー!』です。「ポール・ウィナーズ」シリーズは全部いいんですが、僕はこの3枚目が好きなんです。たぶんレコーディングを重ねてリラックスしてきたんじゃないかと。特に後半の<マック・ザ・ナイフ>からの流れがいいですね。

 

 

――実は私はバーニーのサイド参加作が好きで、リーダーアルバムからはこの2枚で終わりなんです。だからちょっと反則っぽいんですが(笑)

 

 サイドマンのバーニーも大好きです。ぜひ!

 

――3枚目はジュリー・ロンドンの『彼女の名はジュリー』です。バーニーは豪快なイメージもありますが、このレコードでのコードワークは非常に繊細ですよね。このレコードのバーニーが、僕にとってギターによる究極の歌伴ですね。

 

 もちろん最高ですね。バーニーの中でも最初のヒットみたいですね。

 バーニーのコードワーク、歌伴はもう本当に素晴らしい。

 

――それからこのレコードはアレンジもすごくいいんですよね。<風と共に去りぬ>とか。クレジットされていないけどアレンジャーがいたんじゃないかと思ってるんですが。

 

 いや、バーニーがやってるのではと思います。バーニーは本当に親しみやすいアレンジをしますから。カルメンのアレンジも全部バーニーですし。

 

――えっ、そうなんですか。すごいですね。バーニーは一流のスタジオミュージシャンでもあったので、譜面も強かったんでしょうね。

 

 すごいですよね。ハリウッドで映画音楽とかもやってましたしね。

 

 

――4枚目はソニー・ロリンズの『コンテンポラリー・リーダーズ』です。ロリンズは現在に至るまでギタリストをよく起用しますが、おそらくこれが最初かな。ロリンズの太いテナーの音色と、バーニーのガサガサした質感のギターのバランスが好きです。

 

 いいですね! <ハウ・ハイ・ザ・ムーン>のまったく打合せしてない感とかも最高ですね。

 

――エンディングがなんとなくウヤムヤなんですよね(笑)それがまた素敵なんですが。バーニーのコンピングのセンスも素晴らしいです。あんな風に人と演奏できたらいいんですけどね。

 

 そうですねー。憧れますね…。

 

 

――最後の一枚は、ライオネル・ハンプトンの『スター・ダスト』です。これはバーニーどうこうじゃなく、とにかく全体の雰囲気がたまらなく好きなんです。ジャズの歴史に残る大名演、大名盤だと思います。

 

 たまらないですよね。もうウィリー・スミスのテーマから素敵すぎて笑っちゃいますよね。

 

――ウィリー・スミス、チャーリー・シェイバーズ、スラム・スチュワート、そしてライオネル御大。全員強烈にキャラが立ってますよね。まさにオールスターズっていう豪華な雰囲気で、それなのにそこはかとない哀愁があって。こういう雰囲気は最近のジャズにはあまりないですね。何度聴いても飽きないし、聴くたびに泣きそうになります。

 

 みんな音が最高に良くて、いい具合にふざけたりしてお客さん笑わせてたり、でも哀愁あってねー。でも熱くて。いいんですよねー。

 バーニーはこのとき22、3歳ですからね。本当すごいですよね。

 

――このころはまだチャーリー・クリスチャンの影響が強いですね。 

 

 そうですね。やはり50年代最初くらいまでは特に強いですね。

 


――さて、バーニーの魅力を語りつくしたところで、浅葉さんの『イージー・ライク』について質問させてください。まず私が「おっ!」と思ったのは、1曲目がアップテンポのブルースですよね。私はブルースが好きで、自分のライブでも人のライブでも、セットの中にブルースが1曲はないと落ち着かない(笑)

 

 巷で有名な<ジャンピン・アサバ・ブルース>のことですね(笑)

 僕もブルースが大好きで、特に『トゥ・スイング・オア・ノット・トゥ・スイング』の1曲目みたいなのとかアップテンポなのが好きですね。

 

――アルバム全体に「肩ひじ張らず、楽しくやろうよ」っていう雰囲気があふれてますよね。それがすごくいいなと思いました。

 

 

――私は新潟で、赤ちょうちん居酒屋とか、お座敷とか、そういうヘンなところでライブをやるんです。ジャズはどうしても「敷居が高い音楽」「お洒落で高級な音楽」「怖い音楽」だと思われているから、あえて真逆な場所でやってるんです。それこそ「肩ひじ張らずに楽しもうよ。踊っちゃってもいいよ」っていう感じで。お客さんもプレイヤーもお店の人もお酒を飲みながらやってるので、最後の方はどういう演奏をしたか誰も覚えてない(笑)でもみんなが楽しんでくれています。とにかく楽しんでもらうのが一番大事なことだと思ってます。

 

 それ本当にぼくも思いますね。そもそもぼくが楽しいからやってますし、楽しいライブとか素晴らしいライブ見ると笑顔になって、体も動いちゃって。

 

――『イージー・ライク』はジャズストの会場でも買えますか?

 

 もちろん買えます! なんとサイン付き!!

 

――プレミアが付きますね。今回のバンドメンバーについて教えてください。 

 

 ベースの玉木勝さんは、先ほど出ましたスラム・スチュワートが大好きなベーシストで、なんと弓で弾きながらハミングするというシンギン・ボウイング・スタイルをします。

 竹内武さんはルイ・ベルソンが大好きで、ブラシもスティックも音がきれいでノリノリです。

 

――残念ながらCDに参加しているベーシストで、私のジャズ研の後輩である越野振人君は来ないんですが、今回のメンバーも素晴らしいリズムセクションですね。実は私が浅葉さんを知ったのは、振人がきっかけなんです。あいつ最近頑張っているらしいから、YouTubeで検索してやろうと。そしたらギター・トリオで<ワン・ミント・ジュレップ>を演奏している動画があって、ずいぶん純度が高いギタリストがいるなと(笑)振人には去年の斑尾ジャズで数年ぶりに会ったら、髭を生やしてかっこつけていたけど、とてもいいベーシストになりましたね。

 

 彼は音が太くてきれいですね。そして共演者のことを本当に考えてくれる。いつも冷静で的確な意見を言ってくれますしね。

 

 

――さて、新潟ジャズストリートで浅葉さんが演奏するのは7月16日(土)ですが、その日の夜に、私がいつも演奏している東堀の赤ちょうちん居酒屋「きね」の前で、浅葉トリオにライブとジャムセッションに付き合ってもらいます。

 

 楽しみです。

 

――「きね」はなかなか凄い店で、間違いなく「えっ!?今日ここで演奏するの!?」ってなると思いますよ。

 

 そういうところ好きです。きねっていう名前もいいですね。

 

――店主が「木根渕さん」というんです。予定では2000円でドリンクと食べ物が付きます。これはもう、お店の大サービスです。持ち寄り歓迎で、ジャズストリートが終わったミュージシャンやジャズファンがぞろぞろ集まって、飲みながらセッションで盛り上がる、そういう雰囲気にできたらいいなと思っています。浅葉さん、日本酒は飲めますか?

 

 大好きです。バーニー、日本酒、女性の順で好きです。

 

――ではぞんぶんに飲んで演奏していただきましょう。素敵な女性が来てくれるといいんですが(笑)きれいなオチが付いたところで終わりにしましょう。長時間、本当にありがとうございました。

 

 すみません、最後に5枚目いいですか?(笑)

 

――あれ、5枚目飛ばしてましたか?

 

 はい。すみません(笑)

 では最後はサイドマンから。エラ・フィッツジェラルドの『デューク・エリントン・ソングブック』です。全曲最高ですが、とくにデュオでやっている<ソリチュード>がたまりません。泣けます。日本酒と合います(笑)

 

――では「きね」でライブとセッションをやった後は、<ソリチュード>を聴きながらしっぽり飲みましょうか。改めて、ありがとうございました。

 


「Fisherman's 酒場 きね」

 

元科学者という意外な経歴を持つ店主が、魚好きが高じて開いた路地裏の隠れ家。

2015年6月からに店の前の路地を「新潟バーボン・ストリート」と勝手に名づけ、ジャズライブやセッションを行っている。冬は店舗2階のお座敷を利用した「お座敷ジャズ」が好評。

店主はカヤック教室も頻繁に開催している。2016年から拠点を粟島に移して活動中。

7月16日(土)には、浅葉裕文トリオと地元のミュージシャンでセッションを行う。料金は2000円でドリンクとフードが付き。持ち込み大歓迎。19:00から22:00頃まで。

 

新潟市中央区東堀通5-430

025-222-0704

Kayak Fishing Club Kine

 


《ジャズフル・プレゼンツ》

横山和明 スペシャル・インタビュー

 

横山和明(ジャズドラマー)

 

 1985年、静岡県生まれ。

 幼少の頃より音楽に親しみ、3歳からドラムを始める。高校在学中にJunior Mance、渡辺貞夫と共演。2002年、渡辺貞夫カルテットの全国ツアーに参加した事をきっかけに本格的にプロ活動を開始する。

 高校卒業後に活動の拠点を東京に移し、以後、数多くのツアーやレコーディングに参加している。2004年より約10年に渡り、Barry Harrisの来日公演のドラマーを務める。

 2012年、佐々木優花カルテットのベトナムツアーに参加。また同年、アメリカのカリフォルニア州で行われたSan Jose Jazz Summer Festに宮之上貴昭カルテットで出演。

 その他に、Red Holloway、Sheila Jordan、Eddie Henderson、Wess Anderson、Steve Nelson、Gene DiNovi等とも共演している。

 誠実で落ち着いたドラミングには定評がある。

 


「原体験」

 

―音楽に関する一番最初の記憶は?

 

 3歳の誕生日プレゼントに買ってもらったドラムセットを叩いて遊んでいたことはぼんやり覚えてるよ。

 

―ということは、物ごころがついたころにはドラムを叩いていた。

 

 そう。両親共に音楽が好きで、父のバンド仲間にもかわいがってもらっていたから、物ごころつく前から音楽に囲まれた環境の中にいた、という感じかな。

 

―両親はどんな音楽を聴いていた?

 

 60年代から80年代初頭ぐらいまでのロックが多かったと思う。

 

―じゃあ子どもの頃はそういう音楽を聴いていたんだ。

 

 そう。特に僕にとっての音楽への入口になったのは60年代後半のブリティッシュロック。

 

―ジャズを始めたきっかけは?

 

  ジャズに興味を持ったのは中学生の頃で、それは、60年代から70年代初頭にかけて活躍したロックドラマーたちの多くがジャズの影響を受けていていたから。リンゴ・スター以前にはロックドラマーのスターはほとんどいなくて、当時のドラム界のヒーローというと、バディ・リッチ、ジーン・クルーパ、ルイ・ベルソン、ジョー・ジョーンズ、ソニー・ペイン…と、ほとんどがジャズ、特にビッグバンドのドラマーだった。

 ルーツを辿る中でジャズに興味を持ったけど、結果的にロックより自分の肌に合っていたみたいで。

 

―静岡でジャズを始めて、10代後半にはジャズドラマーとしてかなり完成されていたわけだけど、いったいどうやってジャズを身に着けたの?

 

 まずは良い環境の中にいたのだと思う。今思うと恵まれすぎてたくらいに。

 ベーシストの本山二郎さんが父の友人で、生まれて初めて観たジャズのライブは二郎さんとドラムの渡辺文男さんだった。二郎さんは当時小さなジャズクラブを経営していて、よくそこに父と遊びに行ってかわいがってもらって。それが小学生のときだから、ジャズにのめり込むようになるまでにはしばらく間が空くわけなんだけど…。 

 

―それが原体験としてあった。

 

 そう。だから、その何年後かに二郎さんに会いにいって二郎さんの下でいろいろと学ばせてもらうようになるのは自然な流れだった。二郎さんのように東京のシーンでも活動している素晴らしいミュージシャンと地元にいながら関わることができたのは大きかったと思う。

 あと、富士市にある「ケルン」というジャズクラブのマスター夫妻にもかわいがってもらった。国内外の凄いミュージシャンの演奏をたくさん間近で見せてもらったり、ライブが終わってからそんな凄い人たちとセッションさせてもらって、いろいろとためになるアドバイスをいただいたり。その後の活動の基盤となるような良い経験を本当にたくさんさせてもらった。

 それから、もちろんたくさんの音源や映像からもいろいろと学んだよ。

 

―静岡は都市の規模としては新潟より小さいよね。それでも音楽的に恵まれた環境があった。

 

 というよりは、たまたまコアなコミュニティーの中に入ってしまったのだと思うよ。

 あと、地理的に西からも東からもいろいろな文化が通っていくエリアではあるかもしれないね。実際にライブのツアーの工程にも組まれやすいし。

 

―渡辺貞夫さんとの出会いは?

 

 ケルンに貞夫さんが来たときに僕はお店の手伝いをしながらライブを見せてもらっていたのだけど、終わってからマスターが「今うちにこんなドラムの子がいてね」と紹介してくれて、ベースの納浩一さんと話をしていたら盛り上がってセッションする流れになって。他のメンバーとセッションしてたら、貞夫さんも途中から楽器を出して入ってきてくれて。 

 そのときに気に入ってもらって、次の年のツアーに呼んでもらったのが始まり。

 

―それは高校生のときだよね。ツアーはいつ行っていたの?

 

 最初のツアーは高校3年になる前の春休みだね。

 貞夫さんと知り合ったのはその1年前で、直後に貞夫さんのラジオ番組の収録に呼んでもらったりもしたけど。

 

「東京、そしてニューヨーク」

 

―東京に行ったのは18歳のとき。それはどういうきっかけだった?

 

 高校を卒業してから大学には進学しなかったから、そのままなんとなく関東でのライブにも誘ってもらえるようになって。静岡と東京を行き来してたら東京での仕事が増えてきたから、じゃあ、引っ越しちゃえって(笑)

 

―じゃあ、「東京に行ってジャズドラマーとして食っていこう。成功してやろう」みたいな、確固たる決意があったわけではなかった。

 

 全然ない。「ただ仕事があったから来ました」と。それだけ。

 「なんかやってやろう!」みたいな気持ちが一切ないままここまで来てしまったのだよね。たまたま良い環境の中に自分が身を置いていたから、気が付いたらいろいろな人と知り合っていて、気が付いたら仕事に呼んでもらえるようになっていた、と。

 だから、とてもラッキーなのだけど。本当にそれだけ。

 

―「音楽で成功しよう」とか、「稼いでやろう」とか、そういう気持ちは全然持ってなかった。

 

 一ミリもない。たまたま良い巡り合わせがあって、たまたま良い環境にいた。そのまま流されて今に至る、と。普通はそうならないのだろうから、本当に恵まれてる話で。

 

―そのまま静岡に残る可能性も、あるにはあった?

 

 分からないけど、それもありえたと思う。

 とりあえず、車の免許だけは取って、その先はそれから考えようかな、みたいな感じだったから(笑)

 

―今日は「ジャズとローカル性」みたいなことを一つのテーマにしたいんだけど…。新潟はもちろんローカルだし、静岡もローカルだよね。東京だって、ジャズの本場、ニューヨークと比べたらローカルかもしれない。ジャズをやってれば「いつかニューヨークに行きたい」とか、「向こうで演奏して成功したい」って思うことは自然なことだと思うんだけど、それは全然思ったことはないっていうこと?

 

 思ったことはないし、今でも全く思ってない。妄想してみる事はあっても、実現させようという欲はないな。もちろん、ニューヨークのシーンで今起きている事を体感するとか、レジェンドたちの演奏を間近で聴ける機会が多いとか、音楽に関していろいろと魅力的な場所ではあるけど、自分がそこで何かしようということには興味がないかな。

 その土地で生活したいかどうかというのも別の話だしね。それ以前に、今自分が置かれている状況で手一杯だから(笑)

 

―和明君より少し上の世代にとっては、アメリカに行って、バークリーを卒業してっていうことがステータスだったというか、「本場を知っている」っていうことが凄く大事なことだったと思うんだけど。

 

 昔は海外に行ってそこで暮らしてみないと分からないことが多かったのだろうけど、今ではそういった情報が海外に住まなくてもある程度得られてしまうから、住んでいる場所はそこまで関係なくなってきているのかも。

 

―やっぱりインターネット、YouTubeの影響が大きい。

 

 すごく大きいと思う。どこに住んでいるかよりも、自分が何を発信していくかが大事な時代になっていると思う。

 たしかに今でもニューヨークはシーンの最前線、最先端で刺激が多いのだろうけど、必ずしもニューヨークにいる必要はないっていうか。おもしろいことをやっている人たちは全世界にいる。 昔はそういう人たちがいたとしても情報を発信したり得る機会が少なかったったけど、今は違う。

 

―ニューヨークの「スモールズ」では、ライブをリアルタイムで生中継しているよね。あとは「My Music Masterclass」でレッスン動画を簡単にダウンロードできたり、Skypeでクインシー・デイヴィスみたいな一流のプレイヤーがプライベート・レッスンしてくれたり…。

 

 グレゴリー・ハッチンソンとかケンドリック・スコットもやってると思う。

 

―情報を得ることが凄く簡単になっているよね。同時に、情報を世界に向けて発信することも、東京にいても地方にいても簡単にできる。

 

 やろうと思えばね。

 

―地方にいて世界に通用するような一流の音楽家になることも、簡単なことではないけど不可能ではないよね。どういうことが大事だと思う?

 

 うーん…。常にアンテナを張り続けることかな。常に情報収集。変にいろいろなものを見すぎて「なんとかかぶれ」みたいなるのもNGだけどね。

 それから、自分がやろうとしていることのルーツをきちんと知ることも大切だと思う。どういうバックグラウンドがあるかとか。音楽を「知る」ことや「理解する」ことは大切。

 

―地方でやっている人は東京にコンプレックスがあるかもしれないし、東京でやっている人はニューヨークにコンプレックスがあるかもしれない。でも、コンプレックスが音楽的にプラスのエネルギーにはなることはないよね。

 

 もちろんならない。そんなものどうでも良いよ。コンプレックスを感じるならその場所に行ってみればいいだろうし、興味がなければ行かなければいいだけ。

 それに、シーンが激しく動いている場所から距離を置く利点というのは絶対にあると思う。ニューヨークや東京みたいな場所では情報が多すぎて、余程自分が強くないと流されてしまうからね。自分の大事にしたいものをキープしていくためには少し離れてみると良いと思う。

 ただ気を付けないといけないのは、外からの刺激が少ないだけに、その自分の世界だけを大事にしていると視野が狭まってしまうこと。そういう意味では、さっき言ったように常に情報収集するというか…。

 

―オープンでいること。

 

 そう、オープンでいることが大事。

 結局、ニューヨークみたいなシーンが激しく動いている場所と自分との距離感の問題だよね。自分から飛び込んでいくのか、敢えて距離を置いて外から見るかという。どちらが合うかは人によると思う。僕はそう考えるけどね。


「『オールドスタイル』からの脱却」

 

―少し話は変わるんだけど、自分を含めて和明君を20代から知っている人にとっては、横山和明というと「オールドスタイルのドラマー」というイメージだったよね。でも今はそれを脱却している。それはどんなきっかけがあった?

 

 うーん…。一つは、我が家にインターネットが開通した、ということ(笑)いや、それは本当に大きな話で。最新の情報に関しては「浦島太郎」状態だったから。

 十数年前には変に新しいものにかぶれたプレイヤーが多かったように思う。 ジャズの匂いが全然なかったり、ジャズの語法でしゃべっている感じが全然しないのに、「新しいものをやらないとダメだ」とか、「そんな古いスタイルはダメだ」とか言われることに僕は反発していた。「そんな薄っぺらい演奏で何を言ってるんだ」と。

 「彼らが憧れている人たち」は素晴らしかったとしても、彼らの演奏をおもしろいと思えなくて、いわゆる新しいものにはしばらく興味を持てなかったな。

 

―直接のきっかけになったのは?

 

 エリック・ハーランドがベースのルーベン・ロジャース、ピアノのアーロン・ゴールドバーグと一緒に来日したこと。

 当時、周りのドラマーがみんな「ハーランド凄い!」と騒いでいたから、「そうなんだ、ヘー。じゃあ、どんなもんか観に行ってみるか」と観に行ったら、本当に凄かった…。

 もちろんコンテンポラリーなスタイルだし、技術的にも凄い。 ここ10年くらいのドラム界での技術的、音楽的な進歩は凄くて、これまでではちょっと考えられない程急に飛躍した感じなのだけど、エリック・ハーランドはまさにその代表格。

 でも、その時僕が「うわー」って感じたのは、そこに至るまでのルーツやバックグランドが音から見えてくるということ。さっき言ったような薄っぺらいものでは全然なくて。 ジャイアンツたちが歩んできた道の先にエリック・ハーランドみたいな最先端の人がいる。 先人たちへのリスペクトを感じたし、伝統的なジャズの匂いもする。でも、今の時代を生きている音がしている。「あ、こういうことなんだな」って。最先端の人を見て、古いとか新しいとかいう議論が無意味だと分かったのが良かった。

 その後も僕自身はしばらくコンテンポラリーな方向には行かなかったわけだけど、それでも自分を信じることができたのはエリック・ハーランドを観たから。 彼の演奏を聴いて、「あ、この先に彼らがいるんだから、今やっていることは決して間違ってないんだ」って思えたのが大きかった。

 その後に、さっき言ったインターネットの開通があって(笑)YouTubeがすごい広まってて、簡単にいろんな世界のスーパードラマーの映像を見られるわけじゃない?グラスパーのトリオのクリス・デイヴとか。そういうのを見たときに、もう顎が外れたよね(笑)「今、一体何が起きているのだろう」と。

 ロナルド・ブルーナーとか、いわゆるジャズドラマーではないけどゴスペル系のハイパーな人たちとかの動画で見たら、「うわあー!」って。早回しなんじゃないかってくらいに叩きちぎってた。ただ叩きちぎってるだけの人ならそれまでもいただろうけど、ちゃんとその中に音楽が見えてくる。そこがここ10年くらいで出てきた人たちから感じる大きな変化かな。

 それで「今」がおもしろいって感じた。 過去のものはある程度追ったから、今度は「今」何が起きてるか知らなきゃって。 知らないうちにこんなに凄いドラマーが沢山出てきてるから、「これはマズい」と。それで慌てて追いかけ始めた。

 

―2000年以降のジャズは、ドラマーが中心になってたっていうのがあるんじゃないのかな。それとたまたまリンクしたっていう。

 

 うん。でも、ジャズの歴史自体、ドラマーがリードしてきた所はあるね。エルヴィン・ジョーンズとかトニー・ウィリアムズとかジャック・ディジョネットとか。ビバップの時代はドラマーのほうが全然遅れていたけど、それ以降で考えると、ドラマーというか、リズムやグルーブの感じがリードして音楽全体の方向性が変わっていく、というのはずっとあったかな、と思う。

 たしかに、ここ10年程で更にその傾向が強まったかな。

 

「ケンドリック・スコットの魅力」

 

―ケンドリック・スコットのことを聴きたいんだけど、彼はいったい何が凄いの?

 

 それは誰がどう感じるかっていうのがあるから、難しい質問なんだけど…。

 コンテンポラリーな感じの人を追い始めた時に、ハーランドは前から知ってて、チャールズ・ロイドのバンドとかの盤は好きだったからチェックしてた。それからクリス・デイヴとか、「うわ、かっこいいな」って。

 でも、その2人は凄過ぎて、研究しようにもどうにも手が出ないな、と思って。「こういう要素は欲しいけど、凄すぎてどうにもなんないな」と。

 そんな時ににケンドリックの存在を知った。プレイスタイル的にはより伝統的なジャズの匂いが強いけど、現代的な要素も持っていて、「あ、これだったらとっかかりにしやすいかも!」と思ったのが、大間違いだった(笑)

 

―つまり最初は、自分の感覚と近いものを感じた。

 

 そう。ケンドリックのバランス感覚が好きなんだろうな。伝統的な部分と現代的な部分のバランス感覚。音色とかフィールも含めてね。

 あと、音楽が見えてる感じが素晴らしい。

 

―音楽のためのドラムっていうことかな。

 

 そう。アンサンブルに入ったときに音楽全体を見渡してる感じがある。音楽の中にスーッと溶け込んでいる、というかね。なおかつ、ドラマー的においしいところは持っていくしね。 その辺りが僕にとってのケンドリックの魅力かな。

 

 「日本の若い世代」

 

―日本の若い世代のミュージシャンについて聞きたいんだけど…。ドラマーに限らず、こいつはすごいなっていう人はいる?

 

 とりあえず石若駿だね。ドラマーとしても音楽家としても彼には逆立ちしてもかなわないと思う。彼はたしか23か24歳かな。

 

―ピアノの魚返明未君とかと同世代かな。

 

 そうだね。たぶん同じくらい。あの世代は、びっくりするような才能を持った子が多い世代。 

 

―アルトサックスの中島朱葉ちゃんとかね。

 

 そう。朱葉ちゃんとか、ギターの井上銘とか。あの世代は人数が多いし、世代全体でグーンと固まって、グワーッて行くエネルギーが凄くある世代。あと、ドラマーだと山田玲とか。彼も素晴らしい。

 基本的にみんな楽器が上手。 どんどんそうなっているんだろうけど。 僕の世代も先輩たちから「自分たちの若い頃と比べると技術的なレベルが上がっている」と言われていたけど、更に上がってるね。

 

―和明君が東京に来たころは、上の世代と演奏することが多かったんじゃない?

 

 僕が来たときは同い年のミュージシャンなんて1人か2人しかシーンに出ていなかったからね。ただ、みんなが大学を出たくらいのタイミングですごく増えたけど。だから、僕らの世代も多いよ。

 ただ駿達の世代は学生の頃、10代の頃からがっつり活動している子が多い。そこが違うかな。それに10代の頃から音楽なりジャズシーンに対してきちんとした考え方を持っている子が多い。技術レベルが上がっているだけじゃなくて、それにプラス・アルファで何かを持っている人が増えた。それぞれの色というか、個性が有ると思う。

 

「新潟、そしてジャズ・フラッシュ」

 

―最後に、新潟のことを聞きたいんだけど。

 

 新潟市内に来るのは人生で二度目か三度目くらいかな。

 随分前に貞夫さんのバンドで来たと思うけど、そのときはジャズクラブではなかったし、新潟市内だったかどうかも覚えてない。 2年か3年前に、岩井美子さんに呼ばれてジャズ・フラッシュにオルガンの西川直人さんのバンドで来たのがほぼ初めてで、今回はそれ以来。

 

―古町の「ジャズフラッシュ」は好き?演奏しやすいんじゃないかな。

 

 うん。 やっぱり「何か宿っている感じの店」ってあるんだよね、全国色々な場所に行くと(笑)ジャズ・フラッシュはそういう感じのする店だと思う。

 木の床や壁は響きの感じが良いから、そういうのもあるね。

 

―2月に初めてフラッシュで演奏してもらったオルガンの土田晴信さんが言ってたのは、マスターの佐藤さんがミュージシャンや音楽をリスペクトしていることが伝わるって、それがすごくいいって。

 

 それはとても大事。やはり本当に音楽が好きで愛を持ってくれている人のお店は店内の空気感自体がそうなるから。マスターやスタッフの人柄が現れるね。

 

―6月24日にアルトサックスの多田誠司さんのバンド「Oaky」でもう一度新潟に来てもらえるということで、せっかくだから宣伝をしてもらいたいんだけど。どんなバンド?

 

 良いバンドですよ。とても良いバンド。

 元々は多田さんが宮川純のオルガンでバンドをやってみたい、という所から話が始まって。多田さんがドラマーに関して純に相談したときに、オルガンでやるなら和明君が良いです、と推薦してくれて、多田さんと意見が一致して僕になったらしい。

 今回のレコーディングにあたって井上銘をゲストで呼ぶことになって、今のところライブでも準メンバー的に入ってもらっているよ。

 

―CDはいつ出るの?

 

 6月10日に出るかな。

 

―さっき日本の若手の注目ミュージシャンを訊いたときに宮川純君の名前が出なかったけど、彼も素晴らしいよね。

 

 もちろん。さっきはドラマーを連想したから駿の話をしたけど、宮川純は、本当に才能溢れるミュージシャンだと思う。ピアノだけではなくオルガン、シンセ、ローズ…何を弾かせても素晴らしい。全てが宮川純になる。彼も音楽に対する視点が良くて、すごくセンスを感じる。彼は本当に素晴らしい。

 純の世代も良いミュージシャンが居て。「ものんくる」のベースの角田隆太君とか。彼も素晴らしい才能を持ったミュージシャン。 あとは純と同じ名古屋出身の鍵盤の渡辺ショータ君とか。彼も素晴らしいし。

 昔からそうだけど、ある世代に才能あふれるミュージシャンが固まったり。

 

―多田誠司さんとか、ヤマジョー(山田穣)さんの世代もそうだよね。

 

 そうだね。僕の一回り上の世代も多いね。TOKUさんとか江藤さんとか、野本晴美さんとか、石崎忍さん、岡崎正典さん、工藤精さん、力武誠さん。まだまだいるよ、1973年生まれ。

 その後の世代はみんなアメリカに行ったりするせいか、ちょっとバラけるんだけど、僕らの世代も多いんだよね。84年から85年の世代。菊池太光、楠井五月、清水昭好、小美濃悠太、小林航太朗、関西から出てきた千北祐輔、矢藤亜沙巳。たぶんまだいるね。すごく多い。

 純の世代も多いしね。そして駿の世代。

 

―また次の世代が出てくる。

 

 そう。この業界はそういうものだから。 だから自分のいるポジションにしがみつくのは無理だし、しがみつこうとするのはよくないよね。自分が持っていないものを持った子や、才能溢れる子がどんどん現れるから。キープするよりは、自分が何ができるかとか、自分がどうあるべきか、ということを大切にするべきだと思う。

 だから彼らに嫉妬している暇なんかない。嫉妬している暇があるなら彼らがやっていることをできるように練習すればいいわけだからね。でも、それをしたところでみんな同じになるだけだから、それは全然意味がない。自分が持っているものを、どう生かしていくか。それが大事だと思う。

 

―ジャズドラマー、横山和明の今後を楽しみにしています。ありがとうございました。


このインタビューは、新潟ジャズストリートの会場でもある新潟・古町の喫茶店「カファ・パルム」で行われました。

http://www.kaffa-parme.com/

横山和明氏が頼んだのはチーズケーキとホットコーヒーのセット。

インタビュアーは、「ジャズdeフルマチ」萩原が務めました。